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学科案内

学科の歴史

歴史(沿革)

日本で最初にノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹博士の進言により、1958年にこの物理学科と日本大学原子力研究所(平成14年量子科学研究所に名称変更)が創設されました。湯川博士の推薦で、当時名古屋大学の新進気鋭の素粒子論研究者であった原治博士が物理学科の最初の教授として赴任しました。

その頃の日本は、アメリカから原子力が導入された時代で、政府に原子力委員会が設置され、いくつかの大学で原子力関係の研究が始められました。この物理学科では世界的にほとんど研究されていなかった制御核融合の実験的研究を、プロジェクト研究として推進していくことに決めました。以来、物理学科と量子科学研究所は、協力して教育・研究を行ってきています。

欧米での物理学の研究は、研究の合間にスポーツを楽しんだり、社会的地位にとらわれずに自由に議論するという雰囲気の中で行われています。このような伝統は日本にも伝わり、この物理学科においても受け継がれています。教員も学生も分け隔て無く、物理学のみならず様々な問題について自由に議論する雰囲気が物理学科にはあります。疑問があればどのようなことでも教員にぶつけてみてください。テニスなどのスポーツを通しての交流も盛んに行われています。

湯川秀樹博士(1907-1981)

東京で生まれ、1929年京都帝国大学を卒業、1939年京都帝国大学教授となりました。1935年に核力の研究を行い、中間子の存在を予言しました。この中間子は、現在π(パイ)中間子と呼ばれているもので、1947年イギリスのパウエルにより宇宙線の中から実際に発見されました。湯川博士は、この業績により1949年に日本人としてはじめてノーベル物理学賞を受賞し、戦後復興の日本人に明るい希望を与えてくれました。このノーベル賞受賞記念として1953年京都大学に基礎物理学研究所が創設され、初代所長となりました。1977年に日本大学理工学部において湯川博士の講義が行われ、その記録は『物理講義』として講談社から出版されています。

物理学とは何だろうか

高校で物理学を学んできた皆さんは、「物理学とは何だろうか」と疑問に思ったことはありませんか?物理学を勉強して、他の理科の教科である化学、生物学、地学とは相当異なっていると感じていると思います。

物理学の目指しているところは、自然の振る舞いを記述することにあります。これについては、他の理科の教科と同じですが、物理学は単に見たとおりの現象そのものを書き記すということはしていません。さまざまな現象を観察し、それらに共通するものを見いだそうとしています。つまり自然を統一的に理解しようとしています。

物理学・・・自然の統一的理解

皆さんは、自然界のものは全て原子からなっていると教わってきていると思います。この原子という考えは、2000年以上も前に古代ギリシャにおいて生まれました。古代ギリシャ時代に自然現象を統一的に理解するという試みがなされるようになりました。特にデモクリトスは、自然は原子と真空からなっていると主張したことで知られています。古代ローマの詩人ルクレチウスは、『物の本質について』という著作において、原子論で自然を統一的に解釈しています。このような自然を統一的に理解しようという姿勢が、現在まで連綿と受け継がれています。

近代物理学の成立

17世紀にニュートンにより打ち立てられた力学は、近代物理学が成立する出発点となりました。ニュートンの力学により、それまで別々に論じられてきた地上の物体の運動と天体の運動が統一的に論じることができるようになり、一見異なっているような諸現象でも同じ法則により記述できることが明らかになりました。

19世紀になるとファラデーやマクスウェルなどにより電磁気学、カルノー、ケルビン、クラウジウスなどにより熱力学、クラウジウスやマクスウェルなどにより統計力学などの物理学が創られてきました。19世紀末から20世紀にかけてプランクやアインシュタインにより「量子」という考えが導入され、ミクロな世界の研究が始まりました。1913年ボーアにより現在知られているような原子構造が提案され、1925年ハイゼンベルグそして1926年シュレディンガーにより量子力学が創られました。このように物理学は多くの人たちの英知により創造されてきているのです。

19世紀末から20世紀にかけての物理学において、量子論・量子力学や相対性理論が現れ、物理学に大きな変革が起こりました。このときの状況は、『こうして始まった20世紀の物理学』(本学名誉教授西尾成子著)に書かれています。

再び、物理学とは何だろうか

このような疑問に答えるために、日本で二番目にノーベル物理学賞を受賞した東京教育大学(現筑波大学)名誉教授故朝永振一郎博士は『物理学とは何だろうか』という本を書いています。朝永博士は物理学を歴史的に振り返り、「それは、いったい、いつ、どこで、だれが考えだしたのでしょうか。そして現在物理学者とよばれてる人間はいったい何をどういうつもりでやっているのでしょうか。そしてそれが将来何をわれわれにもたらすでしょうか。」ということに答えています。 

朝永博士の著作よりも少々難しくなりますが、日本で最初にノーベル物理学賞を受賞した京都大学名誉教授故湯川秀樹博士は、1975年に大学院生を対象とした講演を本学理工学部で三日間にわたって行い、その記録が『物理講義』として出版されています。この講演において湯川博士は、ニュートンから素粒子論まで歴史的に物理学を捉え直し、物理学がいかに創られてきたか話しました。編者である本学名誉教授故原治は「ここでは物理学という学問が、"できあがったもの"としてではなく、それが創られた場にたち、それを創った人間の人間像にまで結びつけられて語られていることである。」とこの本の特徴を述べています。

相対性理論で有名なアインシュタイン博士は弟子のインフェルト博士と共に『物理学はいかに創られたか』という本を書きました。彼らはこの著作の目的を「世界の実在に対応するような観念を科学の名で案出してゆくところの原動力を示そうとしたのでした。」と記しています。つまり彼らは「自然における現象の世界に対応して、我々人間がいかにして物理学なる物を、観念の世界において創造してきたか」ということを示そうとした、と翻訳者である東北帝国大学(現東北大学)教授故石原純博士は書いています。

高名な物理学者たちによるこれら三冊の著書にも見られるように、彼らもまた「物理学とは何だろうか」ということについて考えてきているのです。皆さんもこれらの本を読み、「物理学とは何だろうか」ということを自分なりに考えてみてください。

高校の物理学・大学の物理学

高校の物理学は、力学、電磁気学、波のような基礎的なことを学びます。大学の物理学は、それらをさらに深めると共に、量子力学や統計力学という高校では教えないことを学びます。これらは、新しい自然の振る舞いを研究するための道具となるものです。大学での物理学は、道具を学ぶと共に、新しい研究を行っています。高校の物理学と数学を学んでないと大変難しく感じると思います。

日本の大学における物理学科

日本の大学の物理学は、1877年に東京大学が設立されたときに数学物理学及星学科が創設されたときから始まります。その後、1897年京都帝国大学、1911年東北帝国大学、1911年九州帝国大学、1930年北海道帝国大学、1931年大阪帝国大学、1939年名古屋帝国大学に物理学科が創設されました。戦後の1949年学校教育法の施行により、多くの官公立学校が新制大学へと移行し、物理学科が続々と設置されてきました。このように日本のほとんどの物理学科は、第二次世界大戦後に設置されています。

湯川博士により創られた物理学科

日本は戦後原子力研究が禁止されていましたが、1951年サンフランシスコ講和条約調印により解禁となりました。1953年米国アイゼンハワー大統領の国連演説「平和のための原子力」により原子力の平和利用が世界的に進められ、日本においても1956年原子力基本法が施行されることになりました。

このような時期に本学は工学部(現理工学部)に原子力センターを設置することを考え、湯川博士を顧問として迎えました。湯川博士は、なによりも基礎が大事であると考えていましたので、物理学科を設置した上で原子力の研究を行うべきであると進言しました。湯川博士の考えに基づき1958年4月に本学科と原子力研究所(2002年に量子科学研究所に名称変更)が創設されました。以来、48年の伝統を誇る本学科は、教育の充実と最先端の研究を進めてきています。

プロジェクト研究としての核融合

本学科は創設した時に、原子力の研究として核融合をプロジェクト研究として取り上げました。日本がこれから核融合の研究を始めようとしている時期でしたので、本学科は当時、核融合研究の一大拠点として活躍しました。本学科は、日本の私立大学では唯一、核融合の実験的研究を進め、コンパクトな核融合炉の開発を目指して着々と成果を揚げてきています。

日本で最初の超伝導研究

現在、超伝導の研究は多くの大学・研究所・企業で行われていますが、本学は日本でまだ超伝導が注目されていなかった1960年代初めに、その研究に着手し、超伝導マグネットの開発にも取り組んできました。MHD発電用超伝導マグネット、核融合炉用超伝導マグネット、超伝導リニアモーターカーの開発などで先導的な役割を果たしてきています。現在使われている超伝導マグネットは直流で動かされますが、未来の技術として商用電源(交流)で作動する超伝導マグネットの開発を行っています。

電子線形加速器による光源の開発

原子核はラザフォードにより1911年に実験的に明らかにされ、原子核の構造を調べる研究が始まりました。そのために電子のような小さい粒子にエネルギーを与える加速器が開発され、その中でもローレンスが1932年に開発したサイクロトロンは、現在の加速器の原型となりました。最近では、加速器は物理学のみならず、工学や医学などでも利用されるようになってきています。本学では、1975年から加速器の研究を開始し、電子線形加速器を開発し、赤外からX線領域の光源の開発を行っています。

このように本物理学科は、他の私立大学ではみることのできない大型装置などを使った最先端の物理学の実験的研究を精力的に進めています。

多彩な理論物理学

大学の物理学では、理論物理学と実験物理学に分かれます。光電効果の研究でノーベル物理学賞を受賞したアインシュタインは理論物理学者、ポロニウムとラジウムを発見してノーベル物理学賞を夫ピエールと共に受賞したマリー・キュリーは実験物理学者です。

本物理学科では理論物理学として、究極の粒子を追い求める素粒子論、原子核の内部を探る原子核理論、身の回りのものの振る舞いを解明する物性理論、実際に実験できない現象を計算機を使ってシミュレーションする計算物理学、複雑な自然現象を解明する非線型物理学、宇宙の謎を解明する宇宙物理学、人類の英知を記録する科学史、コンピュータを利用した教育の方法を研究する物理教育など様々な分野の研究を進めています。本ホームページの研究室紹介を参照してください。